もともと身体への興味がありました。一体身体とは何でしょうか?私たち個々のものでありながら自然の一部でもあるあいまいなものではないでしょうか?
人類が生と死を繰り返すとき、身体のエロティシズムははずせません。それは単なる快楽ではなく、生も死も考察するというということなのです。身体は生も死もそして性までも含む壮大な「空間」なのではないでしょうか?それは私が絵の中で実現してみたい「身体風景」なのです。
日本では解剖図もエロティックアートも、隠されるアートです。その交接部には「何故見せてはいけないか」「何故隠すのか」という問題が常に同居しており、「求めることなのに隠したい」というアンビバレントな状況が描かれたその瞬間から発生します。私はその問題を、とても興味深く感じています。
身体が「存在するのに隠される」といったアンビバレントなものである以上、そこには人が公には見たくない表現も含むかもしれませんが、そうであっても、これは私の身体賛美、人やいのちへの賛美の方法なのです。(2018)
亀井三千代